2010年11月7日 星期日

離別後,才寂寞

言ひつつも 後こそ知らめ
即便寂寞 也是之後
とのしくも さぶしけめやも 君坐(いま)さずして
你不在 才寂寞



巻五の八七八番、山上憶良(やまのうえのおくら)の歌
這首山上憶良的和歌,出自萬葉集第五卷八七八篇。
別れが「寂しい寂しい」といいながら、ほんとうに寂しくなるのは、出発な
さった後なのでしょうね
離別真是寂寞,然而真正的寂寞應該是在離去之後吧。

九州大宰府で大伴旅人(おおとものたびと)と親交を深めた山上憶良は、
ほぼ五年間で、旅人の帰京を見送ることとなります。
在九州太宰府(現今福岡縣的太宰府市)與大伴旅人(奈良時代的歌人)成為
摯友的山上憶良,幾乎有五年的時間,都在目送旅人回到奈良(當時的日本首
都為奈良)。
送別の宴が開かれた席で、憶良はなごり惜しい気持ちをこうした一首に託
しました。
在餞別宴上,憶良將他不忍離別的心情,寄託在這首和歌中。
人間、いつでも誰とでも別れる寂しさを覚悟しなければなりません。そし
て別れることがわかった瞬間から「寂しさ」を味わいますね。
人啊,一定會對天下沒有不散的筵席有所覺悟。所以,人在知曉將要離別的瞬
間開始,就會感到孤單吧。
しかし作者はいいます。「本当の寂しさは居なくなった後からやって来る
いまの気持ちは、ほんのちょっとした寂しさなのですね」と。
然而憶良卻說:「真正的寂寞要在對方離去之後才會造訪。現在的心情,不過
只是一點點孤單罷了。」。
なにげないことのようで、実は深く人間の心をよんでいると思います。こ
の作者が人間を見る目は、いつも鋭いと感心します。きっと、作者がいろい
ろな別れの中に人生を歩んできた結果なのでしょう。
憶良似乎只是有感而發,事實上卻解讀了人最深層的心裡。憶良觀察人的角度
總是如此敏銳,令人佩服。這一定是造就於憶良一生中所經歷過的各種離別吧。
ちなみに「さびしい」とは、孤独感のことです。憶良の生涯は孤独感の連
続でした。
順帶一提,「寂寞」即是孤獨感。憶良的一生總是不斷感到孤獨。

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