言ひつつも 後こそ知らめ
即便寂寞 也是之後とのしくも さぶしけめやも 君坐(いま)さずして
你不在 才寂寞◇
巻五の八七八番、山上憶良(やまのうえのおくら)の歌
這首山上憶良的和歌,出自萬葉集第五卷八七八篇。別れが「寂しい寂しい」といいながら、ほんとうに寂しくなるのは、出発な
さった後なのでしょうね
離別真是寂寞,然而真正的寂寞應該是在離去之後吧。◇
九州大宰府で大伴旅人(おおとものたびと)と親交を深めた山上憶良は、
ほぼ五年間で、旅人の帰京を見送ることとなります。
在九州太宰府(現今福岡縣的太宰府市)與大伴旅人(奈良時代的歌人)成為摯友的山上憶良,幾乎有五年的時間,都在目送旅人回到奈良(當時的日本首
都為奈良)。
送別の宴が開かれた席で、憶良はなごり惜しい気持ちをこうした一首に託
しました。
在餞別宴上,憶良將他不忍離別的心情,寄託在這首和歌中。人間、いつでも誰とでも別れる寂しさを覚悟しなければなりません。そし
て別れることがわかった瞬間から「寂しさ」を味わいますね。
人啊,一定會對天下沒有不散的筵席有所覺悟。所以,人在知曉將要離別的瞬間開始,就會感到孤單吧。
しかし作者はいいます。「本当の寂しさは居なくなった後からやって来る
いまの気持ちは、ほんのちょっとした寂しさなのですね」と。
然而憶良卻說:「真正的寂寞要在對方離去之後才會造訪。現在的心情,不過只是一點點孤單罷了。」。
なにげないことのようで、実は深く人間の心をよんでいると思います。こ
の作者が人間を見る目は、いつも鋭いと感心します。きっと、作者がいろい
ろな別れの中に人生を歩んできた結果なのでしょう。
憶良似乎只是有感而發,事實上卻解讀了人最深層的心裡。憶良觀察人的角度總是如此敏銳,令人佩服。這一定是造就於憶良一生中所經歷過的各種離別吧。
ちなみに「さびしい」とは、孤独感のことです。憶良の生涯は孤独感の連
続でした。
順帶一提,「寂寞」即是孤獨感。憶良的一生總是不斷感到孤獨。
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