2010年9月1日 星期三

「日本的RPG無異於毫無自由度的動作冒險遊戲」~國外媒體的批判」

「日本のRPGには自由度がなくアクションアドベンチャーと変わらない」
― 海外メディアの指摘


「日本的RPG無異於毫無自由度的動作冒險遊戲」~國外媒體的批判

海外メディアはJRPGに対し厳しい指摘を行います。

國外媒體對日式RPG進行嚴厲的批判

海外メディアKombo.comのエディトリアルディレクターであるEric Frederiksen氏とコントリビューターJoel Windels氏はJRPG(和製RPG)に関する記事を発表しています。

國外媒體Kombo.com的編輯(エディトリアルディレクター):Eric Frederiksen與撰稿人:Joel Windel發表了一篇有關於JRPG(日式RPG)的文章。

「ゲームの技術が発達することにより、見下ろし型のレースゲームやガンシューティングといったジャンルはゆっくりと時代遅れのものになりつつある。それで もゲーム産業人としての我々は、現代のゲームを記述するのに古風の用語に執着する。これは我々を“RPGとはなにか”という疑問へと導く。同じゲームの西 洋と東洋のバージョンはなぜここまで違ってしまったのだろうか」

「隨著遊戲技術的進步,俯視型的賽車遊戲或槍戰遊戲這些遊戲類型已經跟不上時代。即便如此,我們這些遊戲圈的人在記述現代的遊戲時卻依舊執著於這些舊時的用語。這導致我們對”RPG到底是什麼”產生了疑問。同樣一種遊戲類型,為何東西方會有如此大的差異。」

「『Elite』のような作品が、コンピューターRPGのもっともピュアな形となる。あなたは商人、海賊、賞金稼ぎなどのロール(役割)をプレイする(演 じる)ことができる。構造化された物語がなくとも、プレイヤーはゲーム界という遊び場の中で自分たち自身のフィクションを作るよう誘われる。

「像『Elite』這樣的作品可說是電腦RPG最純粹的型態。你可以扮演商人、海盜、賞金獵人等角色。即使沒有制式化的故事,玩家也被在遊戲世界中創造一個自己的分身這點所吸引。

MMORPGも同じ流れ上のコンセプトにあり、アバターのコントロールや外観、アクションなどに大きな自由を許す。私は西洋のRPGのほとんどもここに分 類されると思う。

MMORPG(大型多人線上角色扮演遊戲)也基於同樣的概念,在操作、外觀與行動上,給予玩家角色極大的自由度。我認為幾乎所有的西方RPG都可以分類在此。

『Planescape』『Fable』『Mass Effect』はプレイヤーが選択に基づくアクションを起こすと、それに対応して特別仕立ての経験を作り出す。『レッド・デッド・リデンプション』ではプ レイヤーは主人公をハンターにも商人にもくそったれにも聖者にもできるが、ゲームを進めて新しいエリアにアクセスするためにはメインミッションに関わらな ければならない。ある程度の表面的な選択と「ロールプレイ」があるが、あなたは重要な部分を変えることができない。プレイヤーはキャラクターを解釈するの に他者との違いを見る。従って『レッド・デッド・リデンプション』はRPGではなくほかの何かだ」

『異域鎮魂曲(Planescape)』、『神鬼寓言(Fable)』、『質量效應(Mass Effect)』這些遊戲的玩家則是基於選擇來產生相對應的行動,對應這些行動創造出為玩家量身打造的故事。在『碧血狂殺(Red Dead Redemption)』中,雖然玩家能夠讓主角成為獵人、商人、雜碎,甚至是當個聖人,但為了要使遊戲進行下去並進入新的地區,玩家不得不進行主線任務。即便有某種程度表面上的選擇與“角色扮演”,但重要的部份你卻完全無法改變。雖然玩家能夠詮釋角色,但卻與其他遊戲不同。因此『碧血狂殺(Red Dead Redemption)』並不是RPG而是另外一種遊戲類型。」

そして、「ファンタジーが舞台でターン制の戦闘があるようなRPG(多くがJRPGと分類される)のごく一部にしか「ロールプレイ」の要素がない」と指摘します。

接下來此篇文章指出「以幻想世界為舞台,戰鬥方式為回合制的這些RPG(多為JRPG)只有極少數擁有角色扮演的要素」。

「カットシーンはプレイヤーの入力なしで起こり、プレイヤーは台詞を少しコントロールする。プレイヤーは単にキャラクターが必然的に進行するために存在 し、結果としてプレイヤーのそれぞれは似たような経験をする。ゲームはコントロール可能なキャラクターのプレゼンテーションであり教訓的なものになる。 『ペルソナ』シリーズはこの傾向に逆らう少数派のうちの一つだ。プレイヤーがキャラクターとどのように関わるか選択することを許し、彼らの関係がゲームプ レイと物語の重要な部分を作る」

玩家沒做任何輸入便發生過場動畫,玩家所能控制的只有一些台詞。玩家單純只是因為角色註定會進行的事而存在,結果玩家各自得到的都只是相似的體驗。遊戲只是可控制角色的演出,變成像是寓言一樣。『女神異聞錄(ペルソナ)』系列則是一個違反這種潮流的少數派。遊戲允許玩家選擇與角色間要有怎麼樣的關連,與他們的關係成為遊戲進行與故事的重要一環。」

Eric Frederiksen氏は自分がJRPGのファンであると前置きした上で以下のように語ります。「彼らはすさまじい戦いとダンジョンの放浪を注意深く組 み立てて物語を作る。キャラクターと話すことは付帯的であり、多くは「はい」と「もう一度話してもらえませんか?」を決定することだ。

Eric Frederiksen以自己是JRPG的愛好者為前提,做出以下的發言。「他們小心翼翼地結合艱苦的戰鬥與地城的冒險來創作故事。與角色的對話是附加的,大部分都是以『是』與『再說一次可以嗎?』做出決定。

バトルシステムはゲームごとに変化するが、キャラクターの能力、ルックス、他のキャラクターとの相互関係に関してはほとんど自由が提供されない。私はこれ らを「シネマティック・ターン制・ナンセンスゲーム」と称することを始めたくなってくる。・・・むしろナンセンスというよりはコンバットか」

戰鬥系統雖然隨著各個遊戲變化,但關於角色的能力、外表、與其他角色間的相互關係完全沒有決定的自由。我開始想將這些遊戲稱為『電影院.回合制、無意義遊戲』。…比起無意義用戰鬥反而會比較好吧」

「基本的にJRPGには誤ったラベルがつけられている。本質的には多くのアクションアドベンチャーと変わらない」

「基本上”JRPG”是個錯誤的標記。他本質上與眾多的動作冒險遊戲毫無分別。」

様々な意味での自由度がなければRPGとはいえない・・・というのが著者たちの主張。RPGへの要求がかなりハイレベルであることが分かります。

在各種意義上沒有自由度就不能稱為RPG…這就是作者的主張。可以理解到作者對RPG有十分高水準的要求。

例に挙げられた『Mass Effect』を作っているbiowareが「いま超大作を作るのは間違っている」と発言しているのも興味深いところ。ハイレベルな自由度を持った西洋 RPGとなれば超大作にならざるを得ない状況。いずれはこのジャンルにも市場の淘汰が及ぶ可能性があるのかもしれません。

作者作為例子的『質量效應(Mass Effect)』的製作公司Bioware的發言「現在製作超級大作是錯誤的」也十分有趣。如果有連擁有高水準自由度的西洋RPG也不得不製作超級大作的狀況,未來這個遊戲類別或許也有著被市場淘汰掉的可能性。

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